代表者略歴
福岡県福岡市生まれ。
メディア最大手フジサンケイグループのメディア企業で営業部門からキャリアをスタートし、10年以上、主にプロダクト制作及びマーケティング企画に携わりました。
そこでITプロジェクトを複数担当したことから啓発され、IT業界への転身を図り、検索エンジンの米ベンチャーに転職し、ITビジネスを一から学びました。
縁あって上場企業のIT戦略を任される運びとなり、既存事業のIT活用を中核とする新規事業担当として、様々な案件に取り組むことになりました。 そこから自ら企画した新規事業の代表取締役として、2社のベンチャー企業の立ち上げに携わり、企業経営者として10年以上様々な経験をしてまいりました。
直近では人工知能をコアにしたソフトウェア事業をベースに、経営企画、事業開発、営業開発などを担当しています。 とりわけ経営者として経営インフラの構築から運営を統括してきたことから、会社法をベースにした新規事業の立ち上げから、企業のコンプライアンスやリスクマネージメントなど企業法務については、長年取り組んでまいりました。
このたび東京から福岡へUターンしたことがきっかけとなり、経営コンサルタント兼行政書士として新たな人生を歩む決意をしました。 上場企業からベンチャー企業に至るまで、経営者として統括してきた幅広い経験を活かし、ここ福岡で社会貢献していきたいと考えています。
これまでの歩み
■学生時代に目指したもの
福岡県立福岡高校、西南学院大学経済学部卒。 もともと法律には興味があったものの、当時はどちらかというとドラマ等で見かける正義の味方という印象への憧れにすぎませんでした。 しかし大学で放送研究会というサークルに所属しラジオ番組の制作などの経験から、マスコミを志望するようになったのです。 大変狭き門でしたが、幸い第一志望だったフジサンケイグループのメディア企業に入社することができ、ここから幅広い経験を積むこととなります。
■20代で経験したこと
私が就職した当時は、男女雇用機会均等法が施行された翌年で、しかもバブル景気がちょうど始まったばかりでした。 女性だからという性差別を経験することなく、華やかなマスコミ業界の真っ只中で特別な時代を経験したのです。 そこで営業、宣伝、制作と幅広い業務を経験し、同時に一般企業では経験できない貴重な経験も沢山させていただきました。 これは私の強みでもあり弱みでもありますが、今でも常に前向きで徹底した楽観主義なところは、この20代の経験が負うところが多いのではと自分では思っています。
そして、この会社でのプロデュース経験が、その後の経営への興味につながっていきました。
■30代で迎えた転機
1995年頃ビジネスでようやくインターネットが台頭してきたばかりの頃、いち早くITプロジェクトを担当する機会に恵まれ、これまでの自分自身の価値観が大きく転換するほどの感銘を受けました。 ITによるパラダイムシフトが起こるのはここから数年要しましたが、私の中ではこの時の経験がその後の人生を大きく変えることになったのです。 それまでの仕事は、とても面白く夢中になって取り組んできたのですが、全てを捨ててでもIT業界でキャリアを積んでいきたいと強く考えるようになりました。 そうして、当時外資系の検索エンジンの会社で、WEBプロデューサーとして新たなキャリアをスタートすることになりました。 もともとプロデューサー職でしたが、ITを活用した新規事業を構築する方へと自身の興味が移り、より経営に近いポジションへとステップアップしていくことになります。 また縁あって上場企業での経営戦略室の責任者のポジションを得て、様々なプロジェクトを担当することになりました。 この頃、アクセンチュアやボストンコンサルティングなどの経営コンサルティング会社とのチームを作ったり、東京でもトップクラスの弁護士事務所と企業法務を担当したり、大変貴重な経験をさせていただきました。
そしていよいよ、自分で企画したソフト開発の新規事業がスピンアウトすることになり、ITベンチャーの経営者としての第一歩を踏み出します。
■40代での挫折と希望
初めて経営した会社は上場企業の100%子会社だったのですが、ちょうど景気が傾きかけていた時期に親会社の業績が悪化し、子会社の業績としてはまだまだの段階だったため、あっけなく株主総会の決定で吸収合併されました。 思い入れがあっただけに志半ばの状態は自分自身とても悔しかったのですが、株主だけでなくお客様や社員に対する責任で、ずいぶん苦しい思いをしました。 しかし、この失敗から学んだことは本当に多く、新規事業の立ち上げにそれからも携わることができたため、様々な場面で強みとなってくれました。 そして、いよいよ新たな会社立ち上げの責任者となったのですが、今度は自分自身で外部から資金調達をしなくてはならなくなり、大手IT企業や大手メディア企業、ベンチャーキャピタル等から合計3億円を出資してもらい、ITベンチャー企業を立ち上げました。 複数の大手出資者を抱えて経営していく厳しさはありましたが、同時に周囲の厳しくも優しい支援者のお陰で、何とか運営することができました。 経営者というのは常に孤独なもので、日々様々な決断を強いられますが、その中で沢山の経験というかけがえのない財産を自分自身で蓄えることができたと思っています。 そうして無我夢中で経営者として取り組んできましたが、個人的な事情で東京から福岡へとUターンすることになり、また新たなキャリアチェンジを余儀なくされることになります。
■50代からの再出発
福岡へUターンしたのは親の介護のためでしたので、しばらくは離職いたしました。 その後状況が落ち着いたため、ようやくこれからの自分の人生について深く考えるようになりました。 これまで多くの人々に支えられ支援を受けて、本当に充実した仕事人生を歩んできました。 これからは、自分が誰かを支えたり支援したりする方へいくべきではないか、そのための手段の一つとして経営コンサルタントを選びました。 自分自身が歩んできた道でどのような助けを必要としてきたか、これまでの経験を活かし、会社法の知識という力も合わせて、これから出会う人々の力になっていきたいと考えています。
まだまだ夢の途中です。50代となった今だからこそ、やりたいことが次々に溢れてきますが、まずは小さな一歩を踏み出していきます。